松山ケンイチ・菊地凛子・水原希子
あらすじ: 37歳の僕は、ハンブルク空港に到着した飛行機のBGMでビートルズの「ノルウェーの森」を聴き、激しい混乱を覚えた。そして18年前(1968年)の学生時代のことを回想した。
直子とはじめて会ったのは神戸に
いた高校2年のときで、直子は僕の友人キズキの恋人だった。3人でよく遊んだが、キズキは高校3年の5月に自殺してしまった。その後、僕はある女の子と付
き合ったが、彼女を置いて東京の私立大学に入学し、右翼的な団体が運営する学生寮に入った。僕のやるべきことは、あらゆる物事と自分の間にしかるべき距離
を置くことだった。
(1968年)5月に偶然、直子と1年ぶりの再会をした。直子は武蔵野の女子大に通っており、国分寺のアパートでひとり暮らしをしていた。我々は休みの日に会うようになり、デートを重ねた。
10月、同じ寮の永沢と友だちになった。永沢は外務省入りを目指す2学年上の東大生だった。ハツミという恋人がいたが、ゲームのように女遊びを繰り返していた。僕も一緒に遊んで何人かの女の子と寝た。
翌年の4月、直子の20歳の誕生日に彼女と寝た。意外なことに彼女は初体験だったという。その直後、直子は部屋を引き払い、僕の前から姿を消した。
7月になって直子からの手紙が届いた。今は京都にある(精神病の)療養所に入っているという。その月の末、同室の学生が僕に、庭でつかまえた蛍をくれた。
夏休みの間に、大学に機動隊が入り、バリケードが破壊された。僕は大学教育の無意味さを悟るが、退屈さに耐える訓練期間として大学に通い続けた。ある日、小さなレストランで同じ大学のミドリから声をかけられ、演劇史のノートを貸した。それからミドリとときどき会うようになった。
ミドリの家は書店だった。近所で火事騒ぎがあり、物干し場でビールを飲みながら火事見物をした。
直子から手紙が来て、僕は京都の山奥にある療養所まで彼女を訪ねた。同室のレイコさんに泊ってゆくよう勧められ、3人で楽しく過ごした。直子のリクエストでレイコさんがギターで「ノルウェーの森」を弾いた。(以上、上巻)
ある日曜日、ミドリに連れられて大学病院に行った。そこには彼女の父親が脳腫瘍で入院していた。父親は数日後に亡くなった。
僕の20歳の誕生日の3日後、直子から手編みのセーターが届いた。冬休みになり、再び療養所を訪れ、直子、レイコさんと過ごした。年が明け
(1970年)、学年末の試験が終わると、僕は学生寮を出て、吉祥寺郊外の一軒家を借りた。レイコさんからは、直子の病状を知らせる手紙が届いた。
6月、久しぶりにミドリに会うと、付き合っていた恋人と別れたと言う。ミドリは僕のことを好きだというが、直子への思いから一線は越えなかった。僕はミドリと直子の双方を愛していることをレイコさんへの手紙に書いた。
8月26日に直子は自殺し、葬儀の後で僕は行くあてもない旅を続けた。1か月経って東京に戻ると、レイコさんから手紙が届いた。レイコさんは8年過
ごした療養所を出ることにしたという。東京に着いたレイコさんを自宅に迎え、直子の自殺前の様子を聞いた。レイコさんは直子の遺品の服を着ており、「ノル
ウェーの森」を2回弾いた。
翌日、旭川に向かうレイコさんを上野駅まで送った。僕はミドリに電話をかけ、君以外に求めるものは何もないと伝えた。
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